京都・『生の六道』 [京都]
今年の『京の夏の旅』は嵯峨野の『清凉寺』が文化財特別公開のひとつになっていたので訪ねて来た。
源氏物語千年紀にも絡んでおりなかなか興味深いお寺である。
清凉寺・仁王門
仁王門を入ると右手に一切経蔵がある。
内部には極彩色の転輪経蔵があり明版一切経が収められておりこれを回すことで一切経を読んだのと同じ功徳があるとされている。
経堂・転輪経蔵
法輪の回転1回100円なので中へ入って回してきた。
一人で回したが 思ったより回転がスムーズで楽だった。
経蔵の北側の境内には阿弥陀堂がある。
嵯峨天皇の第12皇子、河原左大臣 源 融(みなもとのとおる)が嵯峨野の別荘として棲霞観(寺)を建てて、融公没後に遺族が御堂を建立した。これが阿弥陀堂の始まりである。
この源融公が光源氏のモデルと云われている。
今回特別公開の棲霞寺(現阿弥陀堂)本尊 『阿弥陀三尊像』(国宝)は源融がこの地で亡くなる直前に、自分の顔に似せて造らせたという「光源氏写し顔」の伝説を持っているという。
確かに、中尊の阿弥陀仏はとても美しいお顔をされていると思う。
本堂は『嵯峨 釈迦堂』の名前で呼び親しまれており、本尊は釈迦如来(国宝)で釈迦37歳の生き姿を刻んだものと云われている。
本堂
体内には千年前の絹で作られた五臓六腑の模型が収められていたそうだ。
霊宝館で特別公開されていたので見たが、カラフルな絹製で墨で梵字が書かれていた。
本堂の西隣の境内に薬師寺があり、その東隣のお堂の前に『生(しょう)の六道 小野篁公遺跡』と書かれた石柱が建っています。
『生の六道』の石柱
小野篁(おのたかむら)が冥土への入り口にしたといわれる井戸は六道珍皇寺の寺の裏庭にありこの井戸から毎晩閻魔の庁へ出かけ、裁判を手伝っていたといわれている。
冥土から帰って来る井戸は、この薬師寺境内の井戸(生の六道)から、この世に戻って来たと云われています。
薬師寺
都の人々は、珍皇寺の井戸を『死の六道』、福生寺の井戸を『生の六道』と呼んでいた様です。
源氏物語千年紀・宇治十帖パートⅡ [京都]
朱色の欄干が綺麗な朝霧橋の上から上流を眺める景色は日本の原風景を思わせるような景色だと云われているようだが、四国にはありふれた景色?で特に感慨なし・・・。
朝霧橋の上から上流(南東)方向を望む
朝霧橋を渡り切ると正面に宇治神社の鳥居が見える。
朝霧橋の東詰、正面が宇治神社の鳥居
まずは橋の袂の宇治十帖モニュメントを見る。
宇治十帖モニュメント
像は宇治十帖のヒロイン『浮舟』と『匂宮』が小舟で宇治川に漕ぎ出す有名な場面を表現しているそうだ。
宇治神社の鳥居をくぐり石段を上って境内を左へ進むとさわらびの道へ出るので北へ進む。
しばらく進むと早蕨の古跡の石碑がある。
早蕨の古跡跡
源氏物語四十八帖は『早蕨』のタイトルが付いている。
その北に世界文化遺産の宇治上神社がある。
世界文化遺産・宇治上神社の鳥居
本殿は平安後期に建てられた現存する日本最古の神社建築だとか。
宇治上神社・国宝の本殿覆屋とその内部には平安後期の内殿三社が。
内部に三棟の神社を並列に並べた特殊な形式で、内部の神社を覆い屋で覆っているため平安後期の建築とは思えないほど綺麗に保存されている。
宇治上神社のすぐ北に『総角』の古跡がある。中君の父、八の宮の山荘が宇治川の対岸にあると四十七帖『総角』に書かれているのでたぶんこのあたりに山荘が建っていたのであろう。
『総角』の近くの源氏物語ミュージアムがある。
牛車
内部は光源氏の住まいの六条院の模型や牛車、装束などを展示している春の部屋と映画『浮舟』を上映している映像展示室、そして薫の君が八の宮の娘、大君と中君を見初めた『橋姫』の場面を再現している秋の部屋など見所がいっぱいです。
宇治橋から平等院の表参道へ戻りお茶のお土産を買い、宇治茶金時ソフトクリームを食べる。
宇治茶金時ソフトクリーム
基本的に甘いものは苦手だが、宇治茶と粒あんが上品でとても美味しかった。
翌日は近江石山寺からスタート。
To Be Continued…
源氏物語千年紀・宇治十帖 [京都]
今年は紫式部が書いた『源氏物語』が登場して1,000年になるのでいろいろな所で記念イベントが盛りだくさん用意されています。
今回は『源氏物語』五十四帖の最後の十帖、宇治を舞台とした宇治十帖を訪ねてきた。
まずは西国十番札所の『三室戸寺』へ行く。
駐車場のすぐ上に受付があり入山料500円を払って入る。
受付を抜け参道を上がっていくと朱塗りの山門がありその右斜面には1万本のあじさいが咲いている。
山門を抜けそのまま上がっていくと長い石段があり《ようおまいり》という石板が参拝客を迎えてくれる。
階段を上りきると目の前が本堂だ。
本堂前には大きな蓮の鉢が所狭しと並んでいる。
まだ花が咲いていないが咲くと絶好の撮影ポイントになりそうだ。
本堂の右手に鐘楼がありその横手に源氏物語・宇治十帖のヒロイン、浮舟の古跡がある。
石段を降りて左へ行くと池泉庭園がありその先に紫陽花庭園が広がっている。
五分咲きのあじさいは杉木立の中、緑色の葉と青やピンクがベストマッチして美しかった。
次は平等院へ移動。
南口から拝観料600円を払って入場する。
養林庵書院、浄土院の前まで行き、先に鳳翔館へ入る。
展示されている国宝の「梵鐘」は神護寺、三井寺と共に日本三銘鐘の一つで、形の美しさで有名。
現在鐘楼に吊り下げられている梵鐘は寸分違わず作られたレプリカだが、音色は多少違うらしい。
鳳凰堂の屋根の上に乗っていた国宝の『鳳凰』も一体づつガラスケースに入れられて向かい合わせに展示している。
現在鳳凰堂(阿弥陀堂)の上にある鳳凰一対はレプリカだそうだ。
その鳳凰堂の内部には平安時代の仏師・定朝の本尊阿弥陀如来坐像が安置されておりその壁には『雲中供養菩薩像』が26体あります。
全部で52体あるが、半分の26体は鳳翔館の『雲中の間』に展示している。
それぞれの菩薩像は手に楽器のようなものを持ち、雲に乗って阿弥陀如来の周りを舞っているいるデザインだ。
52体中51体が国宝になっている。
鳳翔館を出て鐘楼の先の階段を下りると阿字池を挟んで鳳凰堂の向い側に出る。
そこからは鳳凰堂中堂正面の格子状の壁の上部に丸窓があいており阿弥陀様のご尊顔を拝むことが出来る。
藤棚、観音堂を過ぎると扇の芝がある。
治承4年(1180年)に源三位頼政が平家打倒を掲げて宇治で決戦に及び、平等院で辞世の和歌を残し。扇を敷いて自刃した場所とされている。
表門から出て参道を少し歩き橘橋を渡り橘島へ行く。
少し戻り朝霧橋を渡り向こう岸に着く。
To Be Continued…
京都・百万遍知恩寺 [京都]
東寺の北東にある慶賀門から外に出て大宮通を左に曲がるとすぐに東寺東門前バス停がある。
そのバス停の前に御菓子司東寺餅という和菓子屋さんがあり、東寺御用達だそうだ。
バスを待つ間、よもぎ餅(210円)を1つ買って食べたがボリュームがあって美味しかった。
京都駅行きの市バスに乗り、運転手さんに百万遍へ行くにはどうすればいいか聞くと京都駅のバス停のA2から17番のバスに乗れば早いという事だったのでバスの中で『市バス専用一日乗車券カード』を500円で購入した。
このカードは均一運賃区間内は1日何回でも乗り降りが出来て京都市内の移動には大変便利だと思う。
京都駅前のA2乗り場から17番の市バスに乗り換えて出町柳の次の百万遍交差点手前の百万遍バス停で降りる。
百万遍交差点の東大路通を越えて今出川通を東に行くとすぐ北側に知恩寺がある。
百万遍知恩寺は法然上人が念仏道場とした寺で知恩院と並ぶ浄土宗の名刹で1331年(元弘元年8月)、京都に悪病が流行した際に勅命により住職の第八世善阿上人が百万遍の念仏を唱えて悪病を治め後醍醐天皇から百万遍の名を賜ったという。
毎月15日には百万遍念仏とともに大念珠繰りが行われ境内には手作り市がたって賑わう。
広い境内には釈迦堂・阿弥陀堂などが立ち並び宝物館では寺宝が展示されている。
毎月15日は手作り市がたって賑わうのが有名で今回の旅行の目玉にしていた。
実はどうしても食べたいものがあってそれは『長芳堂のあつあつわらび餅』なのである。
知恩寺の前には屋台が出ておりお祭り気分が漂っている。
門前には『百万遍念仏根本道場』の石碑が建っています。
階段を登り境内へ入るとそこは自立式のターフに埋めつかされたフリーマーケット状態で通路は大渋滞でなかなか先へ進めないほどの人出で賑わっていました。
隅から隅まで長芳堂さんを探したのですが何処にも出店してませんでした。
非常に残念でしたが仕方がありません。次回までの楽しみにしておきます・・・。
手づくり市を楽しんだ後、外へ出て今出川通を南に渡ると京都大学があるので京都大学総合博物館の南から校内へ入り百周年時計台記念館の前を通り正門から外へ出る。
正門の前の東一条通 を左(東)へ曲がると正面に石の鳥居がありそれを潜ってまっすぐ進み石段を上がると吉田神社だ。
お参りを済ませ南に山道を登るとそこには『斎場所大元宮』のお社がある。
『斎場所大元宮』にお参りすると全国の神社に参ったのと同じ効験があると云われており、八百万神をまつる末社らしい。
しかし、京都大学志望の受験生がこの吉田神社に合格祈願に行くと必ず落ちるという都市伝説が定着しているらしい。
京大正門前バス停まで戻り市バスに乗り祇園バス停で降りる。
祇園の四条通を西へ進み切り通しを北へ曲がり次の交差点を西へ曲がると『祇園おかる』がある。
ガイドブックによると《舞妓さんや芸妓さんが置いて行った団扇が店内にズラリと並び、祇園らしい雰囲気に溢れる麺処》と云う事なので、毎日のように讃岐うどんを食べているけれど京都のうどんも美味しそうなので食べる事にした。
《和風だしとカレー、そして濃厚なチーズがバランスよく絡み合ったチーズ肉カレーうどん(940円)が1番人気》とガイドブックにあるのでそれを注文した。
うどんはかなり柔らかく腰が無い為に、うどんを啜り込んでもうどんの先からカレーだしが飛び散らず食べるには具合がいいが、腰があるうどんに慣れている私には物足りないうどんだった。
うどんのだしはコクがあっていいカレーうどんだしになっている。
とろけるチーズは歯に絡んで食べた後でも歯の裏に残ってるようで、カレーうどんに合うのか微妙な感じを受けた。
価格は990円だった。
店を出て四条通を西に歩き南座を過ぎ四条河原町バス停から市バスに乗り京都駅に向かった。
JR京都駅から高松へ帰路についた。
京都・東寺 《特別公開の旅》 五重塔編 [京都]
-五重塔編-
御影堂(大師堂)を出て東へ進み食堂(じきどう)の前を過ぎるとその南に拝観受付があります。
拝観受付前の入口
拝観受付で800円を払って入口を入ると右に講堂と金堂、左に瓢箪池を中心に日本庭園が広がっておりその先に五重塔が聳えている。
入口に一番近い講堂(重要文化財)に入る。
講堂全景
講堂入口
堂内の壇上には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が立体曼荼羅の形で安置されている。
実はこの立体曼荼羅を一度は見てみたかった!!
これらの立体曼荼羅の全体の構想は空海によるものであるが 空海が亡くなった後に開眼供養が行われている。
壇上の中央には大日如来を中心とした五仏(五智如来)、向かって右側には五大菩薩を安置する菩薩部、向かって左側には五大明王を安置する明王部。
壇上の東端に梵天、西端に帝釈天像、そして四隅に四天王像を安置している。
実に見事に配置されており、長い間仏像を眺めていた。
講堂の南の金堂(国宝)に入る。
瓢箪池から金堂を望む
内部は広い空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている。
中尊の薬師如来坐像は像高2.9m程の大きな仏像で、向かって右側に日光菩薩、左側には月光菩薩の両脇侍で薬師三尊像となっている。
これらの三尊像は日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代の大仏師・康正の作らしい。
東寺のパンフレットより掲載
金堂を出ると右奥の五重塔に向かって小路が続いている。
東寺五重塔
道沿いに梅の花が咲いていい香りが漂う中を五重塔を目指して歩く。
東寺の五重塔は京都のシンボルとなっており高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さを誇っています。
五重塔は雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で364年前に徳川家光の寄進で建てられたものです。
初層内部に入るとボランティアガイドが説明をしている。
天井には折上小組格天井という形式で格子状に木が組まれており、ガイドさんがその一部をライトで照らし、「ここに何か見えるでしょう?」・・・はたして何が???
「スプリンクラーのノズルがあるんですよ!火事を起こさないようにしているんです。」
雰囲気を壊さないように工夫されて防火対策をしている事に感心した。
内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像、扉には護法八天などが描かれている。
心柱と須弥壇を囲むように立っている4本の主要な柱には八大龍王が描かれていました。
須弥壇には大日如来とみなした心柱を中心にして、周りには東方に阿しゅく如来、南方に宝生如来、西方に阿弥陀如来、北方に不空成就如来の金剛界四仏が配され、各如来の左右にはそれぞれ菩薩像が二仏ずつ八大菩薩像が安置されています。
須弥壇の床に近い所に扉があり 直径1mの檜の 心柱が覗けるようになっている。
中を覗くと心柱の心礎に近い所が繋ぎ合わせた様に切られた跡が見える。
経年劣化による塔のひずみを修正するため、心柱を一尺五寸(約四十五センチ)切ったという記録も残って いるそうだ。
建ててから年を経ると多くの部材で積み上げられた塔身は乾燥で収縮するが屋根の上に突き出している法輪は心柱に繋がっており屋根を突き上げてしまい隙間が出来る為それを直す為に切られたようだ。
五重塔を出ると北に瓢箪池を中心にした庭園が広がっている。
不開門前の梅林
東大門(不開門)の前には咲き誇った梅林があり、瓢箪池に映る五重塔も美しい。
瓢箪池に映る五重塔
今回で京都・東寺 《特別公開の旅》は終了です。
引き続き京都・百萬遍知恩寺遍です
To Be Continued…
京都・東寺 《特別公開の旅》 灌頂院編 [京都]
-『灌頂院』編-
高松駅始発4時38分の瀬戸大橋線で京都に向かう。
今回は青春18切符を使って格安京都ツアーを企画した。
京都駅に9時29分到着。
西口改札から京都駅南に出て八条通を西へ進み国道1号線を西へ渡って100mほど南へ行き伏見稲荷大社御旅所に北側を西へ歩く。
ストリップ・DX東寺(こんな所に在ったのか!?)を過ぎると大宮通へ出るので左折すると東寺の五重塔が目に飛び込んできた。
天気は残念ながら曇っていて、光の量が足らず全体に暗い写真になってしまったのが残念・・・
慶賀門、東大門の前を南へ歩き右折すると南大門が現れる。
南大門から境内に入ると正面にあるのが金堂だ。
右には五重塔が聳えている。
南大門を入るとすぐ左に朱塗りの八幡宮があり、お社の中で山吹色の袈裟を着たたくさんのお坊様が読経していた。
神社にお坊様・・・朱塗りに読経・・・不思議な光景でした・・・。
その八幡宮のすぐ西に今回特別公開の灌頂院(重要文化財)がある。
灌頂院では密教の奥義を師匠から弟子へ伝える伝法灌頂と云う儀式を行なう場所であると共に後七日御修法(ごしちにちのみしほ)と云う正月の8日から14日までの間に、天皇の安泰を祈願する儀式を執り行うためのお堂です。
新年神道の儀式が終わった後に行うものであったから後七日という名前が付けられたようです。
内部に入ると床は瓦で出来た黒い平板を碁盤の目に様に敷き詰めています。
左側は一段高くなった床張りの部屋になっておりその一角にテレビが置かれ、伝法灌頂の儀式を行なっている場面のビデオテープを再生していた。
中央の部屋は西側の壁に金剛界曼荼羅、東側の壁に胎蔵界曼荼羅が向かい合わせに掛けられています。
両曼荼羅の前には座が設えておりお坊様が曼荼羅に向かって座りお祈りをするそうです。
今回は薄暗い電灯を持ち込んで照明をしていたが、実施の伝法灌頂の儀式のときはろうそくの明かりだけで行なうそうです。
内部の壁には真言八祖像などが描かれているだけで仏像などは一切安置されていません。
灌頂院の北側に小子坊(こしぼう)がありますが、今回は非公開です。
勅使門は菊の文様が優美でとても美しい門です。
「小子坊」は、北朝の光厳上皇が政務を摂った場所で、その折、足利尊氏は千手堂(食堂)に居住したといわれています。
その南に毘沙門堂があります。
ここは京都の都七福神の毘沙門天を安置しています。
毘沙門天は弘法大師が入唐の際に感得されたもので、無量の知恵で学業成就や安産、厄除け、財運を授けてくれる大願成就の神様として信仰を集めているそうです
その南には弘法大師御祈願所の国宝・御影堂(大師堂)があります。
大師堂は弘法大師御在世中の住房で西院(にしのいん)とも呼ばれています。
御影堂(大師堂)には天福元年(1233)に仏師・康勝法眼が斎戒沐浴して、一刀三禮毎に「南無大師遍照金剛」と唱えつつ彫刻したと云われている大師像(重要文化財) が安置されています。
次は『五重塔』編です。
To Be Continued…
京都・冬の非公開文化財特別公開の旅③ [京都]
前回の続き
六道珍皇寺を出て松原通を右折し約150メートル西へ歩き左折して数10メートルで六波羅蜜寺に着く。
正面から入るとすぐ正面が本堂なのだが、正門は閉じられており南門から入り本堂にお参りをしようと上がるとボランティアのガイドさんが六波羅蜜寺の歴史を開設してくれた。
京都・冬の非公開文化財特別公開の旅② [京都]
前回の続き
次の特別公開をしている寺院は『六道珍皇寺』
六道珍皇寺
六道珍皇寺は平安時代に人が亡くなると、三途の川である鴨川を越え、鳥辺野へ葬送する際にこの寺に亡骸を運び、僧侶に引導(いんどう)を渡してもらい、ここから先の東に向かって、鳥辺野で鳥葬や風葬を行なっていたらしい。
六道の辻
京都・冬の非公開文化財特別公開の旅① [京都]
1月12日から京都・冬の非公開文化財特別公開が始まる為、再度13日に日帰りで京都へ行く。
まずは知恩院からスタートする。
知恩院の三門は本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建っている。
五間三戸の二重門で正面柱間が5つで、うち中央3間が通路になっており、2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがある。
高さ24メートルの堂々たる木造の門で、東大寺南大門より大きく、寺院の三門としては日本最大級であると言われている。
三門とは、空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門、三解脱門を表すとされる。
京都・三十三間堂歩きの旅 [京都]
1月5日に予てより買っておいた山と渓谷社の『京都・歩く地図帳’08』を片手に京都を歩いてみる事にした。
JR京都駅に到着し烏丸中央改札口から出ると正面に京都タワーが聳えている。
京都駅ビルを振り返ると鏡張りの建物が青い空を写して輝いている。
駅前の塩小路通を右折し東へ歩き出す。
河原町通を越えると急に道幅が半分になるがもう少し歩き鴨川に架かる塩小路橋を渡る。
暫くすると太閤塀がありその先が南大門だ。