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奈良・法隆寺 [奈良]

日にちが前後したが、4月6日に奈良・法隆寺を訪ねてきた。

大阪駅環状線1番乗り場から大和路快速に乗り法隆寺駅で降りる。

2年前に来たときは南にしか出口は無かったが、駅舎がリニューアルされており北口が出来て駅前も整備されていた。

北口から出て県道5号線を北へ15分ほど歩くと法隆寺の南大門前に着く。
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南大門の石段の前には法隆寺の謎の1つである『鯛石』が埋まっている。
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言い伝えでは、鯛石の下にある何かを隠していると言い伝えられていると云う。

その石を踏んで室間時代の作である南大門をくぐりまっすぐ進むと中門の前に出る。
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中門は桁行四間、梁間三間なので正面から見ると柱の間が4つあり左右それぞれに仁王像が配置されているので残り二間は入口になっている。
真ん中に太い柱が立っていて、とうせんぼをしているように見えるので、聖徳太子の怨霊封じの寺では?と云う説もあるようだ。

境内は桜が満開だ。
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今回の法隆寺へ行く目的は復刻版の玉虫厨子と平成版玉虫厨子を見る為である。
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中門の手前を右へ進んでいくと正面に大宝蔵殿があり、ここで『法隆寺秘法展』が開催されている。
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入口で入館料500円を払って中に入る。

大宝蔵殿は2つの建物で構成されており、中倉と南倉に分かれている。

中倉から入ると斑鳩宮と東院伽藍関係の展示物があり奥には常設展示されている重要文化財の観音菩薩像が安置されている。

渡り廊下を渡り南倉へ行くと中央に飛鳥・白鳳時代の至宝である『金堂四天王・持国天像と増長天像(共に国宝)』が安置されていた。

その先の出口に近い所に今回の特別展示されている復刻版玉虫厨子と平成の玉虫厨子があった。

法隆寺に現存する飛鳥時代の国宝『玉虫厨子』を忠実に再現した『復刻版玉虫厨子』と『平成版玉虫厨子』の2点が、岐阜県高山市の実業家の遺志によって完成して復刻版を法隆寺に寄贈奉納された物だ。平成版玉虫厨子は6月末まで秘法展で公開された後、岐阜県高山市に帰りその後北海道で行なわれるサミットに福田首相が持って行くらしい。

復刻版は国宝に忠実に2層構造の上部宮殿部の透かし彫り金具の下に東南アジアから輸入された玉虫の羽を6,622枚貼り付けて鮮やかな緑色に輝いていた。

平成版は上部だけでなく下部の透かし彫り金具の下にも玉虫の羽が貼られ、4つの面に描かれた自己犠牲の教えを説く『捨身飼虎図』などの仏画にも高蒔絵の技法を施しタマムシの羽約3万6000枚を使って豪華に仕立てられている。
平成版は全体が鮮やかな緑色の輝きを放って非常に美しいものであった。

次に法隆寺の西大門を西へ抜けて西里(にしさと)を歩く。
昔ながらの街並みが残る静かな集落が広がっている。
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西里の西端を南に曲がると新しく整備された藤の木古墳があり、この時点ではまだ公開前で立ち入り禁止になっていた。
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家型石棺のレプリカが展示されている。
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同じ道を引き返しもう一度西大門から境内に入り夢殿がある東院へ行き夢殿の北にある中宮寺へ行く。

500円を払って庭を奥に進むと中宮寺の本堂があり内部には、スフィンクス、モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」と呼ばれている弥勒菩薩半跏像がありました。
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ロダンの考える人のような半跏思惟像で大きくは無いが非常に美しい仏像でした。

東院へ戻り夢殿の西側の細い道を北へ歩き、片野池を過ぎると法輪寺の三重塔が見えてくる。
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法輪寺は聖徳太子の御子の山背大兄王の創建とも伝えられており、飛鳥時代の仏像と飛鳥様式の三重塔で知られています。

境内は桜が満開でとても綺麗でした。

法輪寺から東へ10分ほど歩くと法起寺の三重塔が見えてくる。
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入口で300円を払い境内へ入る。

法起寺は、聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮を寺に改めたものと伝えられており、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つに数えられているらしい。
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法起寺を出て南へ真っ直ぐ歩き国道25号線へ出ると右へ進み暫く25号線を西へ歩くと中宮寺前交差点に出るので左折して20分ほどでJR法隆寺駅に着く。

後は帰宅の途についた。


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瀬戸大橋開通20周年記念健康マラソン [香川]

昭和63年4月に開通した瀬戸大橋は今年で満20歳になりました。

吊橋、斜張橋、トラス橋など世界最大級の6つの橋梁からなる道路鉄道併用橋である瀬戸大橋で20周年の記念イベントが開催されました。

このイベントは4月13日の午前8時から午後1時まで瀬戸大橋を全面通行止めにした上で橋上で行なう15kmの健康マラソンです。

集合場所である番の洲地区臨時駐車場に午前6時30分に到着。
待機している大型バスに乗り与島フィッシャーマンズ・ワーフ駐車場に向かう。
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フィッシャーマンズ・ワーフから斜張橋と岩黒島を望む

フィッシャーマンズ・ワーフ駐車場東側に受付テントがありそこで受付を済ませ、フィッシャーマンズ・ワーフ1階のレストラン『シスコ』が男性用更衣場所になっていたのでそこで着替えを済ませ手荷物を預けに駐車場へ行く。

手荷物預かり所は日本通運の大型トラックの荷台にコンビラックを設置しそこに荷物を預けるスタイルになっていた。
荷物を渡すと、日通の社員が手際よくコンビラックに収納してくれた。
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手荷物預かり所として日本通運のトラックを利用している

スタート地点はフィッシャーマンズ・ワーフ駐車場の瀬戸大橋を挟んで南西にある与島プラザ駐車場の為徒歩で1.5kmを距離を移動する。

午前8時45分から出発式が始まった。

真鍋香川県知事や来賓の紹介と今回のゲストランナーの四国電力チームのメンバーと特別ゲストの谷川真理さんの紹介があった。
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谷川真理さんと四国電力マラソンチーム

参加者はAからEまで1,000人ずつに分けられて5分おきにスタートする事になっている。

私のゼッケンはE-21**と2000番台なのにE組の最終組のスタートになっていた。

今回のマラソンはタイム計測も無いし、のんびり走るには最終組が丁度いいかも知れないと思った。

A組9時スタート、谷川真理さんはA-0001のゼッケンで最前列に並んでウオーミングをしている。

すごくスレンダーなのに、その細身のストレッチする足の筋肉は彫刻のようにメリハリが利いてて美しい。
さすがトップアスリートだ。

真鍋知事のスターターピストルの合図で最初の1,000人がスタート。
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午前9時にA組スタート

9時20分、やっとE組のスタートだ。

デジカメを写しながらのマラソンのつもりで参加しているので最後尾に並んでスタートをした。

スタートしてすぐに約1kmの急勾配のループ橋があり、それを息を切らしながら橋上へ上がった。
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心臓破りのループ橋を走り、橋上へ向かう

まずは南へ向かって走る。
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吊橋を南に向かい番の洲まで

路肩には約50m置きに大会関係者が待機しており橋からの転落などの事故を警戒している。

暫く走ると谷川真理さんが折り返してきた。
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ゼッケンA-0001の谷川真理さんとすれ違う

番の洲折り返し地点はスタート地点から6.4kmの所に設置している。

折り返すと向かい風に気がついた。
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北向きに折り返し吊橋を与島方面に

今までは追い風で走ってきたから、風向きは意識してなかったが折り返すと向かい風が冷たく少し強い。

写真を撮りながらゆっくりと走っているのでリラックス出来てすごく気持ちいい。
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白鳥が羽根を広げたような形の斜張橋を岩黒島方面に

与島まで帰ってくると道の真ん中に《フィニッシュ》の大きな標識が設置しているから、『ああやっと終わった~!』と思ったらその向こうからランナーがこちらに向かって走ってきている。

よくよく考えると、岩黒島まで行って折り返すコースになっていたのを思い出しまた走り出す。

岩黒島で13.6kmの折り返しになっており、本四公団の作業服の人たちに拍手で送られて折り返す。
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岩黒島の折り返し地点

先ほどのフィニッシュ地点で15kmになり完走となった。

そこはお祭りのような状態でみんな橋の上で記念写真を撮ったりして騒いでいた。
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与島のフィニッシュ地点

そこからは徒歩で与島プラザ駐車場まで帰りバナナと記念タオルと完走証を貰った。

天気も風も丁度よい絶好のマラソン日和で、橋の上でのマラソンは今までに経験した事が無いくらい気持ちの良いものでした。

こんな気持ちの良い事は近年に無かったので、大会関係者に感謝感謝!!

また開催してくださ~い!

 


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京都・百万遍知恩寺 [京都]

東寺の北東にある慶賀門から外に出て大宮通を左に曲がるとすぐに東寺東門前バス停がある。

そのバス停の前に御菓子司東寺餅という和菓子屋さんがあり、東寺御用達だそうだ。
バスを待つ間、よもぎ餅(210円)を1つ買って食べたがボリュームがあって美味しかった。

京都駅行きの市バスに乗り、運転手さんに百万遍へ行くにはどうすればいいか聞くと京都駅のバス停のA2から17番のバスに乗れば早いという事だったのでバスの中で『市バス専用一日乗車券カード』を500円で購入した。
このカードは均一運賃区間内は1日何回でも乗り降りが出来て京都市内の移動には大変便利だと思う。

京都駅前のA2乗り場から17番の市バスに乗り換えて出町柳の次の百万遍交差点手前の百万遍バス停で降りる。

百万遍交差点の東大路通を越えて今出川通を東に行くとすぐ北側に知恩寺がある。

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百万遍知恩寺は法然上人が念仏道場とした寺で知恩院と並ぶ浄土宗の名刹で1331年(元弘元年8月)、京都に悪病が流行した際に勅命により住職の第八世善阿上人が百万遍の念仏を唱えて悪病を治め後醍醐天皇から百万遍の名を賜ったという。

毎月15日には百万遍念仏とともに大念珠繰りが行われ境内には手作り市がたって賑わう。
広い境内には釈迦堂・阿弥陀堂などが立ち並び宝物館では寺宝が展示されている。

毎月15日は手作り市がたって賑わうのが有名で今回の旅行の目玉にしていた。

実はどうしても食べたいものがあってそれは『長芳堂のあつあつわらび餅』なのである。

知恩寺の前には屋台が出ておりお祭り気分が漂っている。

門前には『百万遍念仏根本道場』の石碑が建っています。

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階段を登り境内へ入るとそこは自立式のターフに埋めつかされたフリーマーケット状態で通路は大渋滞でなかなか先へ進めないほどの人出で賑わっていました。

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隅から隅まで長芳堂さんを探したのですが何処にも出店してませんでした。

非常に残念でしたが仕方がありません。次回までの楽しみにしておきます・・・。

手づくり市を楽しんだ後、外へ出て今出川通を南に渡ると京都大学があるので京都大学総合博物館の南から校内へ入り百周年時計台記念館の前を通り正門から外へ出る。

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正門の前の東一条通 を左(東)へ曲がると正面に石の鳥居がありそれを潜ってまっすぐ進み石段を上がると吉田神社だ。

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お参りを済ませ南に山道を登るとそこには『斎場所大元宮』のお社がある。

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『斎場所大元宮』にお参りすると全国の神社に参ったのと同じ効験があると云われており、八百万神をまつる末社らしい。
しかし、京都大学志望の受験生がこの吉田神社に合格祈願に行くと必ず落ちるという都市伝説が定着しているらしい。

京大正門前バス停まで戻り市バスに乗り祇園バス停で降りる。

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祇園の四条通を西へ進み切り通しを北へ曲がり次の交差点を西へ曲がると『祇園おかる』がある。

ガイドブックによると《舞妓さんや芸妓さんが置いて行った団扇が店内にズラリと並び、祇園らしい雰囲気に溢れる麺処》と云う事なので、毎日のように讃岐うどんを食べているけれど京都のうどんも美味しそうなので食べる事にした。

《和風だしとカレー、そして濃厚なチーズがバランスよく絡み合ったチーズ肉カレーうどん(940円)が1番人気》とガイドブックにあるのでそれを注文した。

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うどんはかなり柔らかく腰が無い為に、うどんを啜り込んでもうどんの先からカレーだしが飛び散らず食べるには具合がいいが、腰があるうどんに慣れている私には物足りないうどんだった。

うどんのだしはコクがあっていいカレーうどんだしになっている。
とろけるチーズは歯に絡んで食べた後でも歯の裏に残ってるようで、カレーうどんに合うのか微妙な感じを受けた。

価格は990円だった。

店を出て四条通を西に歩き南座を過ぎ四条河原町バス停から市バスに乗り京都駅に向かった。
JR京都駅から高松へ帰路についた。


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京都・東寺 《特別公開の旅》 五重塔編 [京都]

 -五重塔編-

御影堂(大師堂)を出て東へ進み食堂(じきどう)の前を過ぎるとその南に拝観受付があります。

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拝観受付前の入口

拝観受付で800円を払って入口を入ると右に講堂と金堂、左に瓢箪池を中心に日本庭園が広がっておりその先に五重塔が聳えている。

入口に一番近い講堂(重要文化財)に入る。

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講堂全景
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講堂入口

堂内の壇上には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が立体曼荼羅の形で安置されている。

実はこの立体曼荼羅を一度は見てみたかった!!

これらの立体曼荼羅の全体の構想は空海によるものであるが 空海が亡くなった後に開眼供養が行われている。

壇上の中央には大日如来を中心とした五仏(五智如来)、向かって右側には五大菩薩を安置する菩薩部、向かって左側には五大明王を安置する明王部。
壇上の東端に梵天、西端に帝釈天像、そして四隅に四天王像を安置している。

実に見事に配置されており、長い間仏像を眺めていた。

講堂の南の金堂(国宝)に入る。

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瓢箪池から金堂を望む

内部は広い空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている。
中尊の薬師如来坐像は像高2.9m程の大きな仏像で、向かって右側に日光菩薩、左側には月光菩薩の両脇侍で薬師三尊像となっている。

これらの三尊像は日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代の大仏師・康正の作らしい。

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東寺のパンフレットより掲載

金堂を出ると右奥の五重塔に向かって小路が続いている。

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東寺五重塔

道沿いに梅の花が咲いていい香りが漂う中を五重塔を目指して歩く。
東寺の五重塔は京都のシンボルとなっており高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さを誇っています。
五重塔は雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で364年前に徳川家光の寄進で建てられたものです。

初層内部に入るとボランティアガイドが説明をしている。

天井には折上小組格天井という形式で格子状に木が組まれており、ガイドさんがその一部をライトで照らし、「ここに何か見えるでしょう?」・・・はたして何が???

「スプリンクラーのノズルがあるんですよ!火事を起こさないようにしているんです。」

雰囲気を壊さないように工夫されて防火対策をしている事に感心した。

内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像、扉には護法八天などが描かれている。

心柱と須弥壇を囲むように立っている4本の主要な柱には八大龍王が描かれていました。

須弥壇には大日如来とみなした心柱を中心にして、周りには東方に阿しゅく如来、南方に宝生如来、西方に阿弥陀如来、北方に不空成就如来の金剛界四仏が配され、各如来の左右にはそれぞれ菩薩像が二仏ずつ八大菩薩像が安置されています。

須弥壇の床に近い所に扉があり 直径1mの檜の 心柱が覗けるようになっている。

中を覗くと心柱の心礎に近い所が繋ぎ合わせた様に切られた跡が見える。
経年劣化による塔のひずみを修正するため、心柱を一尺五寸(約四十五センチ)切ったという記録も残って いるそうだ。

建ててから年を経ると多くの部材で積み上げられた塔身は乾燥で収縮するが屋根の上に突き出している法輪は心柱に繋がっており屋根を突き上げてしまい隙間が出来る為それを直す為に切られたようだ。

五重塔を出ると北に瓢箪池を中心にした庭園が広がっている。

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不開門前の梅林

東大門(不開門)の前には咲き誇った梅林があり、瓢箪池に映る五重塔も美しい。

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瓢箪池に映る五重塔

今回で京都・東寺 《特別公開の旅》は終了です。
引き続き京都・百萬遍知恩寺遍です

 To Be Continued…


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京都・東寺 《特別公開の旅》 灌頂院編 [京都]

 -『灌頂院』編-

高松駅始発4時38分の瀬戸大橋線で京都に向かう。

今回は青春18切符を使って格安京都ツアーを企画した。

京都駅に9時29分到着。
西口改札から京都駅南に出て八条通を西へ進み国道1号線を西へ渡って100mほど南へ行き伏見稲荷大社御旅所に北側を西へ歩く。

ストリップ・DX東寺(こんな所に在ったのか!?)を過ぎると大宮通へ出るので左折すると東寺の五重塔が目に飛び込んできた。

天気は残念ながら曇っていて、光の量が足らず全体に暗い写真になってしまったのが残念・・・

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慶賀門、東大門の前を南へ歩き右折すると南大門が現れる。

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南大門から境内に入ると正面にあるのが金堂だ。

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右には五重塔が聳えている。

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南大門を入るとすぐ左に朱塗りの八幡宮があり、お社の中で山吹色の袈裟を着たたくさんのお坊様が読経していた。
神社にお坊様・・・朱塗りに読経・・・不思議な光景でした・・・。

その八幡宮のすぐ西に今回特別公開の灌頂院(重要文化財)がある。

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灌頂院では密教の奥義を師匠から弟子へ伝える伝法灌頂と云う儀式を行なう場所であると共に後七日御修法(ごしちにちのみしほ)と云う正月の8日から14日までの間に、天皇の安泰を祈願する儀式を執り行うためのお堂です。
新年神道の儀式が終わった後に行うものであったから後七日という名前が付けられたようです。

内部に入ると床は瓦で出来た黒い平板を碁盤の目に様に敷き詰めています。

左側は一段高くなった床張りの部屋になっておりその一角にテレビが置かれ、伝法灌頂の儀式を行なっている場面のビデオテープを再生していた。

中央の部屋は西側の壁に金剛界曼荼羅、東側の壁に胎蔵界曼荼羅が向かい合わせに掛けられています。
両曼荼羅の前には座が設えておりお坊様が曼荼羅に向かって座りお祈りをするそうです。
今回は薄暗い電灯を持ち込んで照明をしていたが、実施の伝法灌頂の儀式のときはろうそくの明かりだけで行なうそうです。
内部の壁には真言八祖像などが描かれているだけで仏像などは一切安置されていません。

灌頂院の北側に小子坊(こしぼう)がありますが、今回は非公開です。

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勅使門は菊の文様が優美でとても美しい門です。

「小子坊」は、北朝の光厳上皇が政務を摂った場所で、その折、足利尊氏は千手堂(食堂)に居住したといわれています。

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その南に毘沙門堂があります。

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ここは京都の都七福神の毘沙門天を安置しています。

毘沙門天は弘法大師が入唐の際に感得されたもので、無量の知恵で学業成就や安産、厄除け、財運を授けてくれる大願成就の神様として信仰を集めているそうです

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その南には弘法大師御祈願所の国宝・御影堂(大師堂)があります。

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 大師堂は弘法大師御在世中の住房で西院(にしのいん)とも呼ばれています。

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御影堂(大師堂)には天福元年(1233)に仏師・康勝法眼が斎戒沐浴して、一刀三禮毎に「南無大師遍照金剛」と唱えつつ彫刻したと云われている大師像(重要文化財) が安置されています。

次は『五重塔』編です。

 To Be Continued…

 


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映画『八つ墓村』のロケ地《吹屋・広兼邸》 [岡山]

吹屋地区にはベンガラの町並みや日本最古の現役木造小学校だけではありませんでした。

ここ吹屋地区には渥美清さんが金田一役を演じた、野村芳太郎監督『八つ墓村 』(1977年・松竹)の撮影が行なわれた広兼邸があります。

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『八つ墓村 』の撮影に使った城郭のような広兼邸

広兼氏は江戸時代後期の享和、文化年間に、小泉銅山とローハ製造で富を築いた大野呂の庄屋です。
山の斜面に要塞のような石垣に守られた豪邸が建っています。
駐車場は下のほうにあり、車を置いて登っていきます。

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江戸末期の文化10年(1810年)に建てられた邸宅には、2階建ての母屋をはじめ、桜門や3棟の蔵、長屋などの建物、城郭のような雄大な石垣などがそのまま残っています。

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入口に座っている受付のお姉さん

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離れ座敷


離れの茶室は大正時代に建設され、庭園の奥には水琴窟が設置されていました。
水が滴ると水音が響いて良い音がしていました。

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離れの庭園に咲いていた白梅

八つ墓村のロケ地になったように、広兼邸は他では見ることが出来ないような独特の雰囲気を持っています。
車が無いと不便な所にありますが、穴場スポットとしてお薦めです。

吹屋・広兼邸


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ベンガラの町・吹屋 [岡山]

岡山市の中西部の高梁市に『ベンガラの町』吹屋地区があります。
吹屋地区は標高550mの山嶺に江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山町に加え、江戸後期からベンガラという特産品の生産がかさなり、幕末から明治にかけて『ベンガラの町』として全国に知られました。
町並みの旧街道沿いに、ベンガラ格子にベンガラ色の土壁、赤銅色の石州瓦など印象的な風情が漂っています。

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ベンガラ格子の色が綺麗な吹屋郵便局の建物

 

吹屋町並みのメインストリートにあたる道沿いに、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦が印象的な堂々とした商家が軒を連ねています。

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吹屋ふるさと村のメインストリート

 

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メインストリートの標識

 

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ベンガラ色の土壁が印象的です

 

ベンガラは『弁柄』または『紅殻』 と書きます。

江戸時代に、吹屋の銅山の捨て石である硫化鉄鉱を焼くとベンガラの原料であるローハ(酸化第二鉄)が出来ることが、偶然発見されたそうです。
それ以来、ベンガラ工場がいくつもこの地に誕生しました。
ベンガラの成分は酸化第二鉄を主成分とする無機赤色顔料の一種で人類が使用した最古の顔料といわれています。

天然弁柄は非常に高級品で陶磁器の模様書きや漆器の下塗、家具塗装、染料、印肉、船舶錆止めなど広範囲に使われてきました。

民家の柱や窓の格子がベンガラ色、壁もほんのりとベンガラ色、屋根も石州瓦とよばれるベンガラ色の瓦で月日の流れがベンガラ色に落ち着きを与えているようです。

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ベンガラ染めなどを販売しているベンガラ屋

とてもおしゃれな色合いなので自宅もこんな色の壁にしたいと思ってしまいました(笑)

メインストリートから少し歩くと吹屋小学校があります。

現在も実際に使用されています。

 

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国内最古とされる現役の木造校舎の吹屋小学校

明治6年に発足し、同32年に吹屋尋常高等小学校と改称して現在の場所に移し、木造平屋建の東校舎・西校舎が落成。

同42年には木造2階建の校舎本館も落成し、現在まで使用しているそうだ。

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郷愁を感じるような建物

 

まだまだ続く高梁市の旅・・・

 

 To Be Continued…


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映画『春の雪』 ロケ地・披雲閣 [香川]

高松城跡天守台見学会が終わり玉藻公園内の披雲閣(ひうんかく)と月見櫓、艮櫓(うしとらやぐら)の内部も特別公開だと云うことなので見に行く事にしよう。
 

見学会の集合場所の『桜の馬場』から北へ進むと『桜御門跡』があります。


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 『桜御門跡』


『桜御門』は昭和20年の高松空襲で焼失してしまっています。


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  焼け跡が残る桜御門跡の石垣


石垣はその時の火事で焼けた跡が残っています。

その北側に『披雲閣』があります。


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 『披雲閣』正面玄関
 

松平藩時代の『披雲閣』は現在の『披雲閣』の約2倍の広大な建物だったようですが明治5年に老朽化により取り壊されたそうです。


現在の建物は大正6年に建築されたもので、床面積は1,887㎡(約571坪)と決して小さなものではありません。


西側には公的な部屋が配置され、玄関から奥に行くにしたがって私的な部屋になっています。


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  この2階部分は『波の間』で昭和天皇・皇后両陛下がお泊りになられた部屋


一番北奥の部屋は槙の間でその部分だけが2階建てです。

2階へは西と東にそれぞれ階段がありどちらからでも上り下り出来る構造になっています。
その2階は、昭和天皇・皇后両陛下が2度ご宿泊になられた部屋で『波の間』と呼ばれています。


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 二間続きの『波の間』の西側

披雲閣は映画『春の雪』(主演:妻夫木聡,竹内結子)のロケで使用されました
映画の中では竹内結子が演じている伯爵家・綾倉家として出てきます。
そして両陛下がご宿泊になられた2階の『波の間』は、綾倉聡子(竹内結子)の部屋として撮影されています。


http://www.harunoyuki.jp/  映画『春の雪』の公式HP


和室2間続きの部屋になっており、障子を隔てて左右に廊下があり、どちら側も天井から廊下の床いっぱいまで窓ガラスになっています。

 


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 『波の間』に座ると月見櫓が美しく見える
 

北側の窓は内苑越しの月見櫓、南側の窓は中庭が一望できる素晴らしい部屋です。
 
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 『波の間』から月見櫓と『内苑御庭』を望む


『披雲閣』の北側は内苑御庭と呼ばれている枯山水の庭です。

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内苑御庭の中に石の橋が架かっていますが、これが他に例が無いといわれている巨大な『庵治石』から切り出して造った橋です。
欄干も橋も繋ぎの無い一体物なのです。
 

その庭の北の端に月見櫓と水手御門があります。
 
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  月見櫓から『波の間』を見る

月見櫓は三層三階になっており、出入りする船を監視する役割を持つと共に藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので『着見櫓』とも云われています。
 


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 『水手門』を特別に開門していた

月見櫓に連なる『水手門』はいわば海の大手門となっています。
丑寅の方角は北東を指しますが、艮櫓(うしとらやぐら)は南東の隅にあります。


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 『艮櫓』 


なぜか?

もともと東の丸の北東の隅にあったのですが昭和40年に当時の所有者であった旧国鉄から高松市が譲り受けて2年の歳月をかけて旧太古櫓跡に移設復元したからなのです。


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 艮櫓内部


元の艮櫓跡は現在の県民ホールの敷地内に残っています。

見学会の集合場所の『桜の馬場』はその昔、馬の訓練をした場所で、今でも桜の木が植えられており三月下旬から4月上旬にかけて桜が咲くと提灯を灯して夜桜見物の無料開放(普段は200円)が行なわれます。

その頃にまた出かけて来るとしますか・・・。
 


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高松城跡天守台見学会 [香川]

~解体中の石垣を見よう~というイベントに参加しました。

高松城は玉藻城とも呼ばれています。
万葉集で柿本人麻(かきのもとひとまろ)が讃岐の国の枕言葉に『玉藻よし』と詠んだことに因んでいます。
その昔、この辺りの海辺が玉藻の浦と呼ばれていたからだと云われています。

天正15年(1587年)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正(いこまちかまさ)は翌年から港町であった野原の庄・玉藻の浦に築城を始め数年の歳月を費やし平城(水城)を完成させ高松城としました。

 
月見櫓三階から撮影 (すぐ前が岡山・宇野港へのフェリー乗り場)
沖に浮かぶ島が桃太郎で有名な『鬼が島』です。

すぐ前が瀬戸内海なので水門を造り海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は日本の三大水城のひとつと云われています。
後の2つは今治城(愛媛県)と中津城(大分県)です。

その後4代54年間は生駒氏の治世が続きましたが、生駒騒動と云われるお家騒動により出羽の国に移されました。

このあと寛永19年(1642年)に徳川家康の孫で、水戸黄門として有名な徳川光圀の兄の松平頼重が入城しました。
松平頼重以降、11代228年間に亘って居城として統治し高松は栄えました。

明治17年、瀬戸内海に三層五階の天守閣がその威容を誇っていましたが老朽化により取り壊されました。

現在高松城跡は築城から約420年が経過して石材の劣化や度重なる地震によって石垣の各所で『ハラミ・ズレ・ヌケ』といった現象があり石垣が危険な状態だという事で調査した結果、天守台石垣がもっとも危険であることが確認されたそうです。

で、今回の高松市教育委員会主催の見学会が開催される事になって参加してきました。

 

手前の大きな石が石垣の外側、奥の小さな石の山が内部の栗石

天守台の石垣の高さは13m、周りは140mで約9,000個の大きな石で組まれておりその内部は小さな栗石で支え、そこに盛り土をしているそうだ。
大きな石にはガムテープを貼りナンバーを書き込んでいる。

 
手作業で盛り土と栗石を取り除き、大きな石にナンバーを書き込んでいる

この辺りの盛り土からは500年ほど前の陶器や人骨が出土しているそうで、城を築く時に周辺から集めてきた土に混じって共に埋め込まれたのだろうと説明があった。
当時、周辺には墓地もたくさんあったようだ。


ナンバーを書き込んだ大きな石はワイヤーを架けてクレーンで移動


天守台への石段にもナンバーが振られている

今回初めて生駒家の家紋が入った石材が見つかったそうで天守台南西隅の上から6石目の石材に刻印されていたらしい。

 
指で指している刻印が生駒家の家紋です

 
お堀の水は海水でちぬ(黒鯛)や真鯛、カワハギなどが泳いでいる
真ん中の建物はサンポート高松のシンボルタワー、右はホテルクレメント高松

 
石垣の向こうに見える建物は香川県立県民ホール

関東で春一番が吹いたそうだが高松も風が強い一日でした。
見学会の後、城内には色々な建物もあり引き続き見学する事に・・・。

To Be Continued…


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蝋梅の並木道 [香川]

高松市内の南に高松空港があるのですがその周りは広々とした空港公園になっています。
空港の南側の丘には滑走路が一望できる『さぬきこどもの国』があり、旅客機の発着陸を親子で楽しみながら様々な体験学習ができる県の施設が整備されています。

空港の北側は広大な空港公園になっておりその東に隣接して香川県園芸総合センターがあります。

園芸センターは無料で楽しめる穴場スポット。

敷地内には温室棟や梅林があるので梅の花を見に行く事にしました。

 

入口近くには大きな盆梅が展示されており、綺麗に咲いています。

 

 

温室棟内は温かく、シクラメンやシンビジュームなど色とりどりの花が咲き乱れていました。



 

残念ながら梅は品種によって開花時期が違っており部分的には五分咲きの木もありましたがほとんどが一分咲き程度でした。

梅林ではおじさんがキャンバスを広げて油絵を描いていました。

紅梅は開花時期が早いようでたくさんの花が咲いて梅の香りが漂っています。

梅林を抜けて坂を登るとそこは蝋梅の並木道になっています。

両側に200本ほどの黄色い蝋梅が八分咲きになっていてとてもいい香りが漂っていました。

 

蝋梅の並木道からは高松空港の建物がよく見えます。

青空に黄色い蝋梅はよく映えてとても綺麗でした。

三月に入ると様々な種類の梅も見頃になりそうなので、もう一度訪れなくては・・・。

香川県園芸総合センター

 


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